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身に沁みた時の擦り傷の痛み このエントリーをはてなブックマークに追加
2012-01-27 Fri 22:43
「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」



ニーチェという哲学者がその著書「善悪の彼岸」に記した言葉です。



むかし文学部の哲学科に籍を置いていたことがあるんですが、その時に「哲学っていうのはキチガイの学問なんだな」と感じて、哲学勉強するのがイヤになり、映画を知りたくなって映画の学校にいきました。

だから哲学のことは大して勉強してないんですが、勉強してないなりにニーチェは好きでした。

ニーチェは、哲学者だけど、学者って言うより実践者っていうか、自分自身が生身の人間としてもがき苦しんだ過程を記したひと、そんなイメージがぼくにはあって。

つまり、俯瞰して「ひとというものは…」なんて偉そうにいうんじゃなくて、「とにかくオレは精いっぱいやってみて、こう思ったんだ」そんなふうに語りかけてくるひと。そんなイメージ。



で、この「善悪の彼岸」。ぶっちゃけ一度読んだはずだけど詳しいことはぜんぜん覚えてません。

ただ、タイトルの「善悪の彼岸」ってどういうことかっていうと、「彼岸」っていうのは「あっちの岸」。つまり「こっち」とは切り離された世界で、「善悪」という価値観から切り離された世界、ということです。善悪を超越した価値観があるんだよ、ということを教えてくれるわけですね。



冒頭に書いた「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ」という言葉。そもそも今日はなんでこんなことを書いているかというと、まさに今のぼくが「怪物と戦う過程で自ら怪物と化そうとし、覗きこんでいる深淵から見返されていると実感したからなんですね。



対人関係において、「この人はどういう人なんだろう」と観察しているとき、その観察している姿を相手も観察しています。「この人のこういう部分は気に入らない」と考えているとき、その負の波動は自らを蝕み、その姿を怪物にしてしまいます。

ニーチェは「そうならないように心せよ」と言っているけれど、それは「放っておいたら誰でもそうなってしまう」ということの逆説でしょう。だからぼくのような凡人は、万が一「そうならないための努力」が足らずに怪物になってしまったとき、少しでも怪物でない部分が残るように、次善の策を打っていこう、そんな対処をするしか仕方ないようです。

少なくとも、「相手の心という深淵を覗いているとき、相手も自分の心という深淵を覗いている」ということに気づくこと。

そうすると、相手の悪いところをあげつらう自分の弱さに気づきます。かっこわりいなぁ、と思う。それは、どれだけ自分が正しかろうと、相手が間違っていようと、そういうことと関係なく、自分の弱さ、小ささが身に沁みる。



それが「善悪の彼岸」の心境だろうか? そこまでは、哲学を離れたぼくにはわかりません。

でも、身に沁みた時の擦り傷の痛みなら覚えておける。
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