スポンサーサイト このエントリーをはてなブックマークに追加
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
正しさではなく、いいなぁ、という気持ちを軸にして生活すれば・・・ このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-06-06 Mon 23:10
「正しいか正しくないか」ではなく、「自分がそれがいいと決めること」を大事にして仕事をしたほうがいいんじゃないか、ということは最近よく考えるし、このブログにもよく書いています。

そして「これでいいと決める」ための基準というのは、最終的には「自分がそのやり方を好きかどうか」でいいのではないか、と思っています。

ただ、このことを、しっかりと説明できるとはあまり考えていませんでした。どちらかというと、「今の世の中の流れってそっちじゃね?」くらいな感じ。



だったんだけど、今日のほぼ日の「今日のダーリン」と、養老孟司さんと糸井さんとの対談の一節を読んでいたら、もしかしたら説明できるかも、と思えてきたので書いてみます。

まず、糸井さんと養老孟司さんの対談

この中で、糸井さんがこんなことを言います。

うちに、昔来た保険屋さんで、
ピンポンってやって入ってきて、
しばらく話をはじめないで、犬をかわいがってる。
で、いやほんとごめんなさいって言って、
とにかくかわいい、って言う。
お話なんかあったんじゃないですか、って言うと、
いや、もうほんとに、わぁー、ってかわいがって。
で、保険の話だったんだけど、
ぼくも「入ります」ってなっちゃった。
あの人にまた会いたいぐらいの気持ちになって。
そしたら、次の月の集金は違う人だった。
その人に訊いたら、
「あのかたはとにかくトップ中の
 トップの人で」って(笑)。
その人がやったことは何かって言ったら、
保険のことを一言も言わずに、
犬をかわいがったことなんです。
顔を舐められながら、わぁーって言った。


これをひとつの営業テクニックと見ることも、出来なくはありません。

「営業に行ったら商品は売らずにお客さんが大事にしているものを褒めなさい。自分もそれを好きになりなさい」と。

ただ、素直に好きになれるものならいいけれど、そうでないものを「好きです」というのはツライし、往々にしてそういうコトは見破られるものです。ただの世間話であれば、「本当は好きじゃなさそうだけど話を合わせてくれていいひとだ」と思われるかもしれないけど、そこに「営業」という利害が生まれた時点で、そのウソは「自分を欺くために大事なものが利用されている」という感覚を植えつけてしまうおそれが高い。

だからこれをテクニックとして見てしまうと、その仕事はツライ気がします。



その意味で、このトップ中のトップの方は、きっと本当に犬が好きだったり、猫も子どももお花も人形も、大抵なものを好きになれる才能の持ち主なんでしょう。

「誰かが好きなものならば、きっとどこかにいいところがあるはずだし、いいところがあれば自分も好きになれるはずだ」みたいな哲学があるのかもしれません。



とまぁそういう、「好き」を軸にして相手の心に寄り添う仕事の仕方があるぞ、と。

これは「正しいか正しくないか」という文脈を超越しています。



「正しさ」を軸にすると、正しくない人を否定し、正しい人を肯定する、という考え方になります。

こと営業においては、自分の商品が正しくないならそもそも営業すること自体が正しくないことになりますから、商品は正しい、ということが前提になります。



ということは、必然的に「今それを持っていないあなたは正しくない」、というところからスタートせざるを得ません。

このスタートって、ツライですよね。「あなたは間違ってる」っていきなり言われたら(そんな直接言いやしないだろうけど、結果としてそういうことを言われたら)、いい気持ちはしないじゃないですか。お客さんは「できればこの人の言うことは間違いであってほしい。自分は正しくありたい」と思いながら営業トークを聞くことになります。

つまり、「正しさ」を軸にすると、反発されることが前提になってしまう。



これだとお客さんは「説得し、屈服させるべき敵」になってしまう。ツライ。ツライですよ。



そして奇しくも今日のダーリンで糸井さんはこんなことを言っています。

 おなじことを、
 いやだいやだと思いながらしている人と、
 うれしいなぁと思ってしている人とでは、
 まったくちがう場所に行き着きます。
 
 ブータンに行ったときに、
 小学校の見学をして、あらためてそう思いました。
 学校に通えることが、なにかを学べることが、
 おなじような年格好の子といられることが、
 先生がこっちを見ててくれることが、
 うれしくてしょうがないというふうに見えたのです。
 
 おそらく、ぼくの見たブータンの子どもたちは、
 学校に通って、学校でおぼえて、学校ですごすことで、
 じぶんのなかに湧いてくる「あたらしさ」が、
 笑っちゃうくらいうれしいんでしょうね。
 
・つまらなそうに学校に通う子どものことを対置して、
 教育や文明について嘆くようなつもりはないです。
 うれしそうにしている子のことを語れば、
 それで、ぼくの好きな景色が描けるからです。
 いいなぁ、と感じたことをじっとたのしく見ていれば、
 おそらく、見ている人の動きもそっちに向います。
 たぶん、ぼくの方法は、そういうものなんですね。


上の話とは別の話ですが、でも根底に流れる思想というのは、

「比較をして『こっちがいい、こっちはダメ』という必要なんてなくて、自分が信じた、好きだと思えることだけ見ていればなんの問題もないんだ」

ということを言っているように思うんです。

そしてそういう方法で運営されているほぼ日のことがぼくは好きなので、ぼくに関する限り、「これでなんの問題もないジャマイカ」ということに相成候。
別窓 | 2011ほぼ日関連 | コメント:0 | トラックバック:0 |
<<印刷業者に印刷を頼むとトナーが安くなるのか? | 「おもしろがり屋」樋口サトシのブログ | 1本の線でつながる商品ラインナップ>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック
| 「おもしろがり屋」樋口サトシのブログ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。