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成長とは、それまで信じられなかった自分を、信じられるようになること ~映画『ブラックスワン』を見てきました このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-06-01 Wed 23:07
今日は「ブラックスワン」を見てきました~。

この映画を一言で言うと、バレエの「白鳥の湖」の主役に抜擢された女の子の成長の物語。

おお、我ながら一言で言うと身もフタもない感じですが、でも「成長」ということをこんなふうに描いた映画は僕ははじめて出会いました。すごくおもしろかったです。

ネタバレするので続きは↓に書きますが、「人が成長するときの心の動き」を映画ならではの手法で描ききってるんですね。人が成長するときの不安、つらさ、疑心暗鬼といったものを、とても主観的に、それゆえリアルに、描いています。

この映画は現実と…。

おっと、ネタバレしますので↓へどうぞ。
この映画は、現実と妄想がないまぜになっています。ナタリー・ポートマン扮するニナの現実と妄想が、明確な区切りなく羅列されていくんです。

ですからこの映画は非常に主観的な映画で、ニナの見たもの、感じたもの、体験しているニナ、それ以外の描写って多分まったくありません。また、音楽もニナの心情をそのまま表したものが多く、特に前半、いちいち不安を煽るような旋律がつづくので、見ているこっちも非常に落ち着きません。

まだ映画の向かう方向が見えてはいないので(今回ぼくはほとんど予備知識ナシで見たこともあり)、ただただその不安感に押しつぶされそうで、ムダに自分の実生活での不安なことまで思い出してしまう始末でした。



この、虚実入り乱れた感じというのは、実は非常にリアルです。だってぼくたちも、現実を生きながら絶えずいろいろなことを妄想しているじゃないですか。妄想、してるよね? 仕事のこと考えてる時は、うまく行ったらこんな成果が出るなぁ、それで出世してたくさん稼げたら旅行に行こう、とか、ダイエットしてたら、あと3kg痩せたらかわいい水着来て海に行って…、とか、まぁいろいろ考えるでしょ? こういうのも、すべて妄想。



で、ニナは、主役に抜擢されたはいいけれど、演出家に「今のままではダメだ」と言われたり、母親は表面的には喜びながらも実は嫉妬しているし、スキあらば主役の座を狙ってやろうと思っているダンサーはいるし、尊敬していたダンサーの持ち物を盗んだことを気にやんでるし、まぁとにかく不安いっぱいです。

そういうたくさんの不安がいつか自分にしっぺ返しする、という妄想が絶えず頭に浮かんできているんですね。



これ、すごくリアルじゃないですか? ぼくにとってはとてもリアルでした。



自分がこれまでやったことのない仕事にチャレンジするときとかって、不安になるじゃないですか。なんで不安になるかというと、先の展開が読めないからだと思うんです。ゴールに至る道筋を想像できないから。

で、不安なので、本来はその仕事とはまったく関係のないことでも、「あの時あの人にあんなこと言ってまずかったなぁ」みたいな不安があると、「だからあの人が自分に意地悪してくるかもしれない。どうしよう」とかムダに考えちゃうんですよ。

「そういう不安感が現実になったらこんなことが起こる」という妄想が、ニナの主観として映像化されているんですね。

だから虚実入り乱れて、はた目には「現実として何が起きているか」が分かりにくい映像なんだけど、「ニナの主観の描写」としてはとてもリアルなんです。



これはニナの話でもあり、ぼくやあなたの話でもあると思うんだけど、例えば夢で体験している出来事って、その時には現実か夢かってわからないですよね。「夢を見ているときは『これは夢だ』って認識してる」っていうひともいるけど、その人も夢をみる前から「これから夢をみるぞ」と気付いてるわけじゃないと思うので、「夢か現実かわからない」という時間帯は少なからずあると思うんです。

そういう時間帯を、「これはあとから夢だと分かったので現実のタイムラインから削除します」というのではなく、「とにかく自分の体験として並べておきますので、現実か妄想か、区別したいのならご自由にどうぞ。ただタイムラインはそのままにしておいてね」と、そうやって作ったニナのタイムラインが「ブラックスワン」という映画なんだと思うんです。



こういう映画としての構造がまずとても面白くて、「主観を描ききった映画」としてとても評価できると思います。

そして、描かれたニナの成長、これもとてもリアルで、自分がやったことのない仕事をやるときに、不安に対して冷静に対処するための教科書になるように感じました。



自分がとっても大切にしている仕事で、しかも大抜擢された、なんていうときは、モチベーションが上がると同時に「失敗したらどうしよう」という不安も大きくなりますよね。

そのために、自分に否定的な意見をいう人は敵に見えるし、いい顔して近づいてくる人も、「実は裏があるんじゃないか? 油断させて陥れる魂胆なんじゃないか?」なんて考えてしまう。



そういうものに負けてしまうかどうか、というのは実は相手の意図よりも、自分の心を折らずに耐えることができるかどうか、という部分のほうが大きいんじゃないでしょうか。

ニナは妄想の中で、現実に起こしてしまったら取り返しの付かないことをたくさんしでかしています。本番の最中に代役の女の子を刺殺してしまったりしてる。そして本番を演じているさなか、それを実際にやってしまったと思い込んでさえいる。

そういう精神状態にあってさえ、彼女は自分の役を最後までやり遂げ、のみならずこれまで破れなかったカラを破ってダンサーをして大きな成長を遂げます。

そしてそこまでいって初めて、自分の不安や疑心暗鬼は、自分の弱い心が妄想していただけのもので、周りの人々はそこまでニナを憎んだりはしていなかった、ということに気づきます(多少はあったかもしれないけど)。



ひとが成長するとき、その人はとっても孤独になるんでしょう。真の成長というのは、周りの誰かが味方になって助けてもらっては得られないものなのかもしれません。

だってさ、人が成長するとき、「本当に成長できるかどうか」って、自分では確信持てないと思うんですよ。というか、逆に言うと確信の持てるレベルの成長って、大した成長じゃない。「自分にできるかどうか分からない」ことができるようになるから、「成長」なんだと思うんです。



そう考えれば、成長しようとするとき、ひとは自分を信じることが出来ていないわけです。「信じられない自分を信じられるようになること」こそを「成長」と呼ぶのかもしれない。



そして、「自分を信じることが出来ない人」が「他人を信じること」なんてできるわけがないんです。

だって、「他人を信じる自分」を信じられないんだから。



と、いうことはですよ。



「ひとはもともと自分を信じられない生き物だ。

 そこから成長することによって、自分を信じられる部分を増やしていく生き物だ。

 そうして自分を信じられるようになるにつれて、他人を信じることもできるようになる生き物だ」



こう言ってもいいんじゃないかと思うんです。



ならば「より多くの他人を信じることが出来る人」はとても成長している人、それだけ自分を信じられている人ということになるのかもしれません。

そういう人に、なりたいかな? なったらきっととても幸せだろうと思います。でもあまりに遠い道のりのような気がして、まだ想像がつきません。



改めて自分のことに返して考えると、やっぱり他人を信じるって難しいですね。イヤ、その前に、自分を信じることが難しいんだ。
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