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「もったいない」はこれからの消費社会のキーワード? このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-04-25 Mon 23:02
糸井さんはよく、「生産は消費で完成する」ということを言います。

もう少しわかりやすい言葉を引用すると、

野菜だって、買ってくれた人が食べてくれるところがおしまいでしょ。食べてもらえなかったら意味ないわけだから。

作ったものを喜んでくれる人がいて、感想を言ったり、意外な使い方をして楽しんでくれる。それはお客さんが仕事をしてくれてるわけですよね。

ブルータス2011年4月15日号 P31


つまり、店頭に並んでいる商品というのは、決して完成されたものではなくて、お客さんの手元に渡って、それが消費されて初めて完成するものなんだ、ということだと思います。



「買い占めよくない」というのはなぜかというのを、この観点から眺めてみたら面白いかもしれない、とふと思いました。

ボクの中では、「買い占めよくない」というのは、理性的な判断というより感情的な部分だったんです。というか、理屈で言えば、別に買い占めって悪いことじゃないと思うんですよ。そこに商品があって、対価を払える人間がいて、買うチャンスがあるのなら、それを誰が止める権利もない。買い占めする人間が悪いとすれば、買い占めさせる人間も同じくらい悪いわけで、少なくとも買い占めする人間だけを責めるのは筋違い。

ただ感情的には、「そいつだけずるい」とか「そんなに使うのほんとに?」とか、直感的に感じるので不快、みたいなことだったのかな、と。



そう思っていたところに、前述の糸井さんの言葉がポコッとはまったんです。



つまり、この直感的な不快感を説明するとすれば、

「商品というのは消費をもって完成するものである。にもかかわらず、買い占めという行為を行うことは、ある商品の消費=完成を先延ばしすることに他ならない。意図的にそういう行為を行うことは消費社会の原則に反する」

ということなのかもしれないな、と。つまり、人々は(少なくともボクは)必ずしも「生産は消費で完成する」ということを知識として知ってはいなかったけれど、でも感情レベルではそのことを知っていたのではないだろうか、と。




というのも、日本人はそれを端的に表す言葉をよく使っているんです。




「もったいない」




この言葉って、「消費」を軸にした言葉で、まず自分が消費できるはずのものをムダにしてしまったときに使います。食べようとしたご飯をこぼしてしまったら「もったいない」。

そして、自分が消費しきれないほどたくさん所有して、そのままダメにしてしまったときにも使います。たくさん買ってきた野菜が気づいたら腐ってしまっていて「もったいない」。



だとすれば、これからの消費行動を考えるときに、「もったいないかどうか」というのはひとつの指標になりうるんじゃないか、と思うんです。

その行動は、自分にとって「もったいない」感じがするかどうか。他人に「もったいないな」と思われないかどうか。



さっきも書いたとおり、「もったいない」って、やりすぎてもやらなすぎても「もったいない」になってしまうので、バランス感覚が必要なんですよね。もったいなくない生活が出来る人って、消費のバランス感覚に優れているんだと思うんです。

だから、これからは「もったいないかどうか」というバランス感覚を養っていくことが、ビジネスの上でも重要になってくるんじゃないかな~、と。これはやっぱり、大量生産大量消費の社会からの脱却を意味することでもあると思うんです。




…と、本当は今日はその後の、「じゃあこれからお店のあり方、お客さんとの接し方ってどうしていけばいいの?」というところを考えられるかな? と思いながら書き始めたブログだったんですが、ちょっと長くなりすぎてしまったのでそれはまた今度、機会があったら考えます。

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