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運命と自由の先に希望があった? 1 このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-08-22 Thu 10:57
運命論と呼ばれる考え方があります。

これはつまり、世界とは神様のような超越的な存在が完璧に作り上げたもので、作り上げた時点ですべては決められていて、誰にもそれを覆すことはできない、という世界の解釈の仕方です。

ぼくはこの考え方、キライでね~。だって、自分がどんなに悩んで、一生懸命考えて行動したとしても、それは神様の思し召しのまま、すでに決められていたことで、いわば神様の手の中で踊らされていただけだっていうんですから。

あんまり人のことをおちょくんじゃないよ、神様よぉ、ってなもんですよ。だいたい神様とか宗教とか、ぜんぜん信じてませんからなおさらです。



それに、この考え方って、証明できないですよね。

だって神様の作った筋書き、だれも見たことないですもんね。まぁたまに予言者気取りの人なんかが出てくることありますけど、ピタリピタリと百発百中、なんて人、いた試しがありません。

「イヤ、実はいるんだよ」なんて言われても、そんなの目の前に出てきて実際に予言してくれなきゃ信じられません。

まぁそんなわけで、ぼくはこの運命論的な考え方については、否定はできませんけど、肯定もできない。そしてキライ、という立場を長らく取ってきました。



そして、もうひとつ言えば、信じたところで役に立たない。むしろ、ぼくらが自由意志で行動しているという生きるためのモチベーションを下げてしまうと思ったんですね。

ぼくは、学問というのは役に立ってなんぼだと思っています。仮に運命論が真理であったとしても、それが僕らの人生の役に立たないならそんな真理はいらない。

そういう意味もあってキライだし、役に立たないから必要ない、という立場だったわけです。



それが、ここへ来て変わってきました。

それはまず、この運命論というのは、必ずしも我々が持っている(はずの)自由意志と矛盾しない、とわかったから。



というのは、仮に運命論を信じたとしても、だからといって自分たちの意思がなくなるわけではありません。

「運命が決まってるなら何をやったってムダじゃないか」と言って自殺することは可能です。それも運命。でも、そんなことしたくないよね?

仮に運命論を信じても、ぼくたちは相変わらず、自分の自由意志で毎瞬毎瞬やりたいことを選ぶことができます。すくなくとも、そのように認識することは可能です。

つまり、世界が運命論的な世界観によって動いてようがいまいが、ぼくらの自由意志は侵されはしないわけです。



それどころかむしろ、実は運命論を信じることによって、この世の中をより安心して、怖れを手離して生きていく、そんな考え方があるんじゃないかと気づいたんです。

それなら、運命論は役に立ちます。それが真理であるかどうかは知りませんが、役に立つ。




では、その考え方とは何か?

それは・・・

長くなるので次の記事に譲ります。
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