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事故にあっちゃって考えたこと このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-06-27 Thu 02:39
クルマの免許をとって20年。生まれて初めて対人の事故を経験しました。

細い交差点を直進中に、一時停止を無視したクルマにサイドからノーブレーキで突っ込まれてしまったので、「これどうやったら避けられたの?」と思うような事故でしたが、まぁけが人が出なかったのが幸いでした。



バシャールさんによれば、どんな出来事も自分の観念が起こしているわけですから、こうした事故にもなにか意味があるというか、事故を引き寄せる観念をぼくが持っているということです。

そのことについていろいろ考えたんですが、思いつくことがいろいろあって、どれが事故を引き起こす観念だったのかはわかりませんでした。



でもそれはともかく、こういう事故って、ほんの数秒ずれていれば回避できているわけです。

しかも今回に関して言えば、そこをクルマで通るのは、2,3時間前からいつでもよかったのに、よりによってそのタイミングを選んでしまっているわけです。



そのことを「偶然」と見るか「必然性がある」と見るかは、なかなか簡単に結論が出ることではないと思います。

バシャールさんは、それは自分の観念が引き起こしたもので、あらゆることは最適なタイミングで起きている、と言いますが、それを真実として証明することは(たぶん)できません。ゆえに彼は、「それを信頼してください」という言い方をします。



ただ、こうしたことについて「生きるすべ」としての見方をするとすれば、これはやっぱり必然と見るほうがいいんですよね。

というのは、それを「偶然」として見たとき、世界というのは自分の生存を脅かす恐怖のカタマリにしか見えないと思うんです。いつどこから暴走したクルマが来るかわからない。どこに通り魔が潜んでいるかわからない。頭上からなにか落ちてくる可能性だってあるし、急に雷に打たれて死ぬかもしれません。

仮に「すべては偶然」というのが真実だとしても、ひとはそうしたすべてを警戒しながら生きることなどできません。それこそ、その警戒によるストレスに殺されてしまいそうです。



それよりは、もっと世界を信頼して、「必然」として、ある種の責任とともに自分自身が引き受けてしまったほうが、恐れて縮こまってしまうよりはずいぶんラクだと思うんです。

これは、「じぶんの観念が引き起こしている」というスピリチュアルな考え方をしなくても、そちらのほうが「生き方」として妥当じゃないかということです。



「生き方として妥当」というのは、「真実はわからないけど、今のところそう考えると便利」という意味です。

そして、おどろくべきことに、現代の科学って、それと同じ態度をとってるんですよね。

量子力学という学問が出てきて、そこでは「真実の姿を観察することはできない。観察できるのは、「観察された姿」だけだ」ということが証明されているんです。

つまり、人は「真実」を知ることはできない、ということを科学は証明してしまったんです。



その意味では、「生き方として妥当」というのは別に気休めじゃなくて、非常に科学的な態度だということなんです。

科学というのは、真実を追い求める学問ではなくて、現実世界において、有益で便利な理論を見つけ出すために存在する学問なので。



では。

では、今日のぼくの事故は、どんなふうに考えるのが生き方として妥当であるのか?



それは、これまで苦手にしていた自動車保険のことや、ディーラーさんにやってもらえることを当事者として詳しく知れたことが今後の人生の役に立つということ。

代車として用意してもらえたのがプリウスで、しばらくプリウスを運転できるのが楽しいということ(笑)。

そしてこうしてブログにまとめることで、また少し生きることについての考えをまとめることができたこと。



そんなふうに役に立ったので、なにごともなくふつうに生活する1日よりも有意義だったといってもいいんじゃないかなと思ってます。

ほら。スピリチュアルなしでもけっこういい解釈ができるでしょ?(笑)
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