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「自分は最終的にはしあわせになる」という確信 このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-05-16 Thu 01:18
今日もすこしバシャールさんの本を読んでいて、その世界に飛びこむためのドアに手がかかっている、というくらいまでは来たような気がしています。

でもちゃんとはわかってないな、とも自覚していて、この分かりそうでわからない感じは、わりとイヤじゃないです(笑)。



今考えていることをまとめてみると…。

とにかく大事なのは、「自分は最終的にはしあわせになる」ということをはっきりと分かって、そこから今やりたいこと、やるべきことを見つけていくってことじゃないかなと思ってます。



自分の人生を映画に例えたとき、ハッピーエンドで終わることがわかっていれば、途中に出てくるライバルや困難も、そのハッピーエンディングを迎えるために必要不可欠なイベントだったと思うことができると思います。

逆にバッドエンディングになる映画なら、途中にあったつかの間のハッピーも、全体から見れば「むしろあの時にヘンにうまくいかずに自分の悪いところをしっかりわかっておいたほうがよかった」なんてことになりかねません。



たぶんこのブログにも書いたことがあると思うんですが、ぼくは以前から「死ぬときにああ楽しかったと言って死ねる人生なら万々歳だ」と思っていました。

これは上に書いたようなハッピーエンドを迎えられればそれまでのすべての出来事を肯定できるようになるから、という理屈でそう考えていたんですね。



ただ、この考え方は多分に「どのタイミングで死ぬのか」に依存してしまうんです。つまり上に書いた、「途中で出てくる困難」が途中ではなくて最後になってしまった場合、それはバッドエンディングなんじゃないの? ということになりかねない。

さらにそこに「ひとはいつ死ぬかわからない」という観念が加わると、「常にハッピーでなければならない」という結論になってしまいます。が、これは事実上不可能なので、これを追い求めれば求めるほど、人生は困難で息苦しいものとなってしまいます。



その息苦しさから自分自身を開放するのが、「自分は最終的にはしあわせになる」という確信なんですね。

これを確信した瞬間に、自分に起こるあらゆることがしあわせへのパスポートになってしまうんです。



あらゆるネガティブな出来事が、しあわせを得るための学びの材料になります。

あらゆる嫌いなひとが、「じぶんが本当に好きな人は誰か」を教えてくれるかけがえのない先生です。



以前ぼくは、何にでも感謝するとか、すべてをポジティブなことと捉えよう、みたいな教えを「自分の心にウソをつくごまかし」のように感じていました。

嫌いなひと、嫌な出来事を、好きですって無理に思い込んで、自分の感受性を殺すようなことだと思っていたんです。



でもそうじゃないんですね。

嫌いな人は嫌いでいい。イヤな出来事は、イヤ。むしろその自分の感受性を信じて、なぜ嫌いなのか、なぜイヤだと感じるのかということを掘り下げていくことで自分自身のことがよりクリアに分かるようになる。

そうなった時に初めて「キライなあなたがいてくれてありがとう」「嫌な出来事が起こってくれてありがとう」と思えるようになる。

そしてあとで自分がそう思えることがわかっていれば、嫌な人が現れた瞬間に「ありがとう」と思えるようにもなってくる。

自分が主人公のこの映画に、悪役として出演してくれてありがとう、ってなもんです。



バシャールさんの教えようとしてくれていることは、そういうことなんじゃないかな~とは思っているんですが、まだ本も読んでいる途中だし、理解の浅いところもあるだろうと思うので、いちおう途中経過として、頭のなかにあることをまとめてみました、という感じです。

でも今こうやって書くことで、頭のなかにぼんやりあったことも明確になったので、ブログってこういう使い方もできて便利だねと思います(笑)。

おそまつさまでした。

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