スポンサーサイト このエントリーをはてなブックマークに追加
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
別窓 | スポンサー広告 |
たいていの「目的」は「手段」である このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-04-17 Wed 00:54
どうも、目的を持つ、というのが苦手でした。

だって、目的を持つと、そうしなきゃいけない気がするじゃないですか。

でもぼくは気まぐれですから、目的を持ったつぎの瞬間には、違うことをしたくなるかもしれません。

そうした「自由」を阻害する「目的」なんていらないや、と思っていたんです。



これはようするに、「目的」を持った瞬間に、「じぶん」は「目的」に使われてしまう、というイメージを持っていたということです。

人生の主体が「じぶん」から「目的」に移ってしまうというか。



でもそれは、ぼくの感じ方が間違ってたってことだと思うんです。「目的」のために自分の人生を犠牲にする、なんて本末転倒もいいところです。

あくまで目的は、自分の人生をよりよいもの、より充実したものにするためにあるはずです。

ですから、変な言い方だけれども、「目的」は「手段」なんですよ。



少なくとも、人生における「本当の目的」と呼べるようなものはひとつか、それに近いくらい少ないものだと思います。



たとえば僕の場合は、人生の究極の目的は、笑いながら「面白い人生だったなぁ、ありがとう」と言って死ぬことだろうと思ってます。それが出来れば万々歳だよ、と。

ただ、それを達成するためには、例えば「ありがとう」という相手が必要だったりします。

その時に、「死ぬときにありがとうという相手を見つけること」がすこし小さな目的になります。それは、目的であり手段ですね。これは「本当の目的」とは違うんだと思う。



なぜなら、死ぬときにありがとうという相手は見つかっても、自分がその相手に「ありがとう」と言いたくならなかったら仕方ないわけです。

でもそのことを忘れて、「とにかく死ぬときにそこに誰かいないと『ありがとう』って言えないから困っちゃうんだよ」となってしまうと、それは目的に使われてしまっている状態になっちゃうわけです。



そのことが明確にわかっていなかったぼくは、「目的ってのはなんだかイヤなものだなぁ」と思っていたわけです。



でも、「たいていの目的は手段だ」ということがわかってみると、「手段としての目的」を使うことが簡単になります。そして「本当の目的」も明確にすることができるようになります。もしくは、「まだ本当の目的はわからないな」ということがわかるようになったりもします。

なのでぼくも、簡単に目的が持てるようになりました。



今のぼくの目的のひとつは、「100歳まで生きること」です。

だれか大事なひとがいたとして、そのひとよりあとに死にたいな、と思ったんですね。同じ年の人なら、100歳まで生きればたいてい大丈夫でしょう。10歳年下でも、いけそうです。20歳年下でも、いい勝負ができそうじゃないですか。

だから、100歳まで生きれば、大体大丈夫かなと。・・・105歳くらいにしておこうかな?



そんなわけで最近は、目的を持って、ジョギングしたり、多少体に気を使ったりしています。ストレスも、溜めないように、自分に正直にね。

そして、ということは、ぼくが死ぬときに「ありがとう」という相手はその大事なひとではないということなので、一体誰になるのだろうなぁと想像したりしています。
別窓 | 考えたこと | コメント:0 |
<<カープが勝ったね | 「おもしろがり屋」樋口サトシのブログ | 燃え尽き症候群>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

| 「おもしろがり屋」樋口サトシのブログ |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。