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スーパースターの条件 このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-01-28 Mon 00:21
じゃあ今日は何を引用しようか? OK、YAZAWAにしましょう。

ほぼ日の連載、イトイさんと矢沢永吉さんの対談。ヤオモテ、OKより。

これはイトイさんが、自分の会社を持っていて、「自分で決裁する立場」にいる永ちゃんに対して、「ひとり立ち」ということについて聞きたいんだけど、と訊いたことに対する返事として、永ちゃんが語り出したものです。


矢沢  たしかにぼくは、昔から、自分で、
    自分のプロジェクト、自分の会社、
    自分を取り巻いてること、自分で決裁してきた。
    で、いつから、決裁してきたんだろう、
    どこで決心したんだろう、
    最初からこうだったっけ?
    って考えたことがあるの。

糸井  おもしろいね。

矢沢  そしたらね、わかったんだ。
    決して、ほんとうに、決して、
    自分から進んで決裁したことなんか、
    ありゃしないんだよ。

糸井  はーー。

矢沢  で、ずっと考えて、自分なりに出した結論。
    正直なことをいうとね、
    たぶん、ぼくだけじゃなくて、誰も彼も。
    それこそ総理大臣みたいな人も。
    すべてとは言わないけど、
    かなりの多くの人たちがそうだと思うんだけど、
    最初から「オレが決裁しよう」と思って
    決裁した人なんかいないんじゃないかな。

糸井  ああー。

矢沢  すべてとは言わないけど、
    かなりの多くの人は、いっしょなんだよ。
    できれば楽したいし、
    できれば責任を負いたくないし、
    できれば影に隠れていたいの。
    隠れるつもりはないにしても、真正面に立って、
    「なんかあったらオレに言ってきてください」
    とは言いたくないのよ。
    それはもう、本能のようなものだと思う。

糸井  ああ、ボディーがそう感じるんだ。

矢沢  うん。つまり、リスクの高さとか、可能性とか、
    そういう、計算するようなことじゃなくて、
    本能的に、「矢面には立ちたくない」
    っていうのが人なんじゃないの?
    ぼくは、そんな気する。

糸井  うん。

矢沢  ところが、あるときにね、
    あるときに、自分の身に、
    あるいは自分の身のまわりに、
    なにかが起きるわけ。あるときによ。
    なんか、こう、そうせざるをえない、
    こう、ところてんが押し出されるみたいに、
    気がついたら前に出てるときがあるわけ。
    出されちゃうのか、
    出なきゃいけなくなっちゃうのか、
    なんか、わからないけど、
    やらなきゃいけない。こういうときが来るのよ。

糸井  うん、うん。

矢沢  それは、その人の運命なのか、
    選んだのか、選ばれたのか、
    ぼくはよくわからない。

糸井  うん。

矢沢  わからないけど、押し出されちゃうのよ。
    自分が自分を押したのか、まわりがやったのか、
    神様がやったのか、知らないけど、とにかく
    「え? なに、なに? ウソだろ?
     オレがやんなきゃいけないのかい?」
    っていうときが来るんだ。

糸井  うん、うん。

矢沢  だから、最初から
    「あ、わたくしですね、やりましょう」って、
    スパーンとはじまるわけじゃないんだよ。
    だって、もともと人は本能的に、
    矢面に立ちたくないんだもん。
    ぼくはそう思うんだよ。
    なにかの拍子に、自分が前に押し出されててね、
    「オレ?」って最初は戸惑って、
    「え、マジかよぉ」って言いながら、
    でも、どう見ても、キョロキョロ見回しても、
    「オレしかやるやついねぇよな‥‥」
    ってことを、悟るんですよ。

糸井  それが、はじまり。

矢沢  うん。
    「イヤだなぁ、なんでオレが矢面に?」
    みたいなことではじまるんだよ。
    で、義務感とか、やらざるを得ないってことで
    ずっとそういうことをやってるとね、
    なんというか、慣れるというのかな、
    慣れるつもりはないのに慣れてくるんだよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 「ヤオモテ、OK」 第4回「なんでオレが矢面に?」


これを読んで思うのは、矢沢永吉のようなスーパースターでも、中身は当たり前の人間だということです。

並外れたモチベーションとか、底抜けの楽観性とか、ありえないほどの運とか、そういうものをもって生まれたわけでは決してない。

それは、冷静に見れば、アタリマエのことだ。人間というのは、生物というものは、本能的にリスクを回避しようとするものだから、どこまでも自分の想いのままに突っ走る、というようなことがもともとできるはずはない。

にもかかわらず、ぼくらはああいう人を見ると「あの人はもともとそういうすごい人だからできるんだ」と、元々の出来が違うように考えてしまう。



それはなぜかといえば、自分もあのレベルに行く可能性、ポテンシャルがあると思うと、苦しいからだろう。だって行けるものなら行きたいから、がんばりたい。でも実際はがんばれない。そんな自分のダメさ加減に向き合わなくてはいけないのが、恐ろしいのだ。

だから、スーパースターというのは決して自分にはなれないもので、別世界の話だと決めてしまいたい。そうすれば、理想と現実のギャップに苦しまなくて済むから。



でも、スーパースターというのは生まれついてきらびやかな存在だったわけでは決してなくて、苦しさとか、矢面に立たされる運命から逃げなかっただけだ。そして逃げないことに自分の「これが好き」というような思いを乗せて、それをモチベーションに変えることに成功した人たちなんじゃないだろうか。

だとしたら、苦しさや不遇な運命はスーパースターの故郷だろう。そこからしか、スーパースターは生まれない。



だから今、苦しいひと、運命に翻弄されている人は、少しだけスーパースターに近づいているのかもしれない。べつにスーパースターになるのが目的ではないにしても、その同じ道を歩くことは、決して悪くないはずだ。
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