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怒ったり叱ったりするのが苦手なひと このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-01-06 Sun 23:05
どうもぼくは、怒ったり叱ったりするのが苦手です。

怒られたり叱られたりするのも苦手ですが、自分が怒ったり叱ったりするよりもずいぶん気がラクです。相手やシチュエーションによっては、怒られたり叱られたりしても「ありがたいなぁ」と思うことすらあります。



あ、ちなみに、「怒る」と「叱る」は違う、という意見がありますね。「怒る」は自分の感情をぶつけることで、「叱る」は相手を思って理性的に諭すことだ、みたいな。で、この意見を支持する方は、多くの場合「だから怒らないで叱りましょう」と言ったりしているのを散見します。

この定義そのものをどうこういうつもりはありませんが、だからといって「叱る」ならいいのかというと、よくわからないなぁと思ってます。

というか、「叱る」って、上から目線ですよね。部下が上司を叱る、子どもが親を叱る、って基本的にはないでしょ。成人した子どもが老いた親を叱る、デキる部下がダメ上司を叱る、というのはありますけど、これはすでに上下関係がひっくり返っている、ということだと思います。つまり、「叱る」のは常に上にいる人。

この「叱る」の上から目線があまりしっくり来なくて、「叱る」ならOK、とはぼくはあまり思いません。怒ってるほうが心に響く、ってこともあると思う。



と、いきなり話がそれましたが、いずれにしても苦手なんですよ、怒ったり、叱ったり。

で、ちょっと毎度毎度「怒ったり叱ったり」って書くのも面倒なんで、ここでは便宜上「怒る」に統一させてください。「怒る」に「叱る」も含まれてます、ってことで。



苦手なんだけど、やっぱりできないと困るんですよ。「それは好ましくないことである」という意思表示ですからね。冗談に紛らせて言うことはできなくないんだけど、それだとやっぱり伝わらないんですよね。


なので、何とかしないといけないなぁ、という気持ちはずっとくすぶっていました。

でまぁ今日、本を読みながらいろいろ考えていて、そのことに突き当たったんです。いったい何が原因なんだろうな、と。



思ったのは、基本的に「自分の感情を押し付けること」「自分の理想を押し付けること」はNGなんですよ。そういうひとりよがりをしてしまうことがすごくイヤなんだと思う。

そして「相手のために」っていうのも、やっぱりイヤなんです。これは、本当にそうならいいようにもおもうんだけど、こう言っちゃうとずるいんですよ。怒ることが、上に書いたひとりよがりだったとしても、この一言で正当化できちゃうので。

実際問題としてDVとかってこういう理屈を使うんですよね。「お前のためだ。お前を愛しているからこそ怒るんだ」

子育てでも、この言葉を免罪符にして、明らかに理屈の通らない怒り方をする親をけっこう見かけるんです。そういうのを見ているうちに、怒ることが怖くなってしまったんじゃないかなと思ってます。



で、じゃあどうなら怒れるんだろう、と考えると、「怒られてる人が怒っている人に共感できている」という状態になるなら怒れるのかな、と。

共感できるならやるなよ、という話ではあるんですけど(笑)、でもそういう状態じゃないと自信を持って怒ることはできないだろうな~と。

で、そのために必要なことってなんだろう、と考えると、「ビジョンの共有」なんじゃないかなと思うんです。



逆にいうと「ビジョンの共有」ができてないから怒れないんじゃない? と。



「しっかりと同じ方向を見て同じ道を歩いている」とお互いに認識していれば、そしてその向かう方向が「お互いに行きたい方向」であるならば、そこから外れたことを怒ることができるし、怒られた方も心から素直に「ありがとう」と思うんじゃないかと思うんです。

そういう関係なら、OKじゃん。

てことは、その関係がないのに怒ろうとするから、ダメなんですね。



大事なのは、関係づくり。ビジョンの共有。

それが出来れば、そもそも怒ろうとするシーン自体がほとんどなくなるような気がしますけどね。
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