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自己肯定感のない身も蓋もない人生について このエントリーをはてなブックマークに追加
2012-03-06 Tue 02:39
3/5のほぼ日「今日のダーリン」を引用します。


 なんども、ここで「自己肯定感」ということについて、
 言ってきている。
 気になってしょうがないことばなのだ。

 ちょっと耳にしたり目にしたりすると、
 「じぶんのことばかり、いいと思ってる」そういう感じ?
 なんて思えるかもしれない。
 うん。そういうことでもあるのかな。そうかもしれない。
 でも、それだけで言い切れないとわかるのは、
 逆のイメージを想像してみたときだ。
 
 逆は、「自己否定感」あるいは「自己肯定感がない」。
 これについて、「謙虚でいいじゃないか」と思うかな?
 もうちょっと想像してみたら、どうだろう。
 「じぶんは肯定されてない」と感じながら生きてること。
 そんなふうな意味になると思う。
 これは、とてもきついことだろう。
 「いないほうがいいのかもしれない」という思いと共に、
 日々を過ごすということは、人のいのちを削っていく。
 人どころか、犬やら猫やらだって同じだ。
 「いないほうがいい」と思われながら、
 飼われていたり、捨てられたりしているものもいる。
  
 「じぶんはいてもいい(に決まってる)」と、
 思って生きていられることと、
 そう思えずに生きていることとの間には、
 とんでもなく大きなちがいがあると、ぼくは思う。
 ほめられたりかわいがられたりしながら育つ子どもと、
 貶されたり馬鹿にされたりしながら育つ子どもとでは、
 たぶん「自己肯定感」に、ちがいができるだろう。
 おそらく、おとなになってからでも、そういうことだ。
 
 「自己肯定感」ということばを、
 意識しながらいろんなことを考えている。
 それを失っていそうな人を見たとき、
 それを感じられないじぶんを発見したとき、
 他人のそれが否定されている場面に出合ったとき、
 これはいけない、と気づくようにしている。

 自己肯定感って、「わがまま」のことじゃないよ。
 昼寝している犬の寝顔みたいなものだと思うんだ。

ほぼ日刊イトイ新聞3/5版 「今日のダーリン」


自己肯定感。どうもボクは苦手みたい。

苦手というのは、持ちたくても、どうしても持つことが難しい、という意味だ。



例えば「ワンピース」を読んで、心ひかれる人物はニコ・ロビンやポートガス・D・エースだったりする。

この二人の共通点は、小さい頃に「お前なんて生きている価値がない、生まれてこなければよかったんだ」と言われていたこと。

この二人には、自己肯定感を持つことはとても難しかった。そしてそれが故に、屈託なく自分の存在を肯定してくれるルフィの存在が、二人にとってそれぞれにかけがえのないものだったりしたわけだ。



自己肯定感。



別に自分がほめられかわいがられてきた存在でないと言いたいわけじゃない。むしろ過分なほどの愛情を受けてきたという自覚さえある。その上で、自分には「自己肯定感」が欠けている、という自覚もある。これは一体なんなんだろう?



この問いに答えなどないのだ。答えを求めれば求めるほど、この問いは自分や自分の身近な人を追い詰める。



「これはいけない」ということに気づいてはいるのだ。でもどうしていいかわからない。

イヤ、わかっているつもりではいる。それは、自分を肯定できるような過程を通過したうえで結果を残すこと。でも、それが、難しいんだ。



その時に必要なのは、たぶん自分だけで片付くことではなくて、誰かの評価なんじゃないだろうか。その「誰か」とは、特定の人かもしれないし、大きなくくりでの「ひとというもの」かもしれない。

そしてきっと大事なのは、「そのひと」を「自分で決める」、ということだ。とにかく自分の回りにいるひと、とかだと意見がブレすぎて自分の軸がなくなってしまう。そうではなく、「この人の言うことはすごく分かる」という人の意見だけを信じるようにする、とか。



ん? 話がそれたかな。




おそらく今社会で活躍している人々の共通点は「自己肯定感」を持っていることなんじゃないだろうか。でもそれも永久のことでは決してなくて、ある時ふと「自己肯定感」をなくしてしまい、坂道を転げるように転落してしまうことだってあるだろう。



ああ、「自己肯定感」とはその程度のものだ、と思うのがいいのかもしれない。つまり、良いときには感じられ、悪いときには決して感じられないもの。



これじゃあ身も蓋もないような話だけれど、案外人生なんて身も蓋もないのかもしれない。
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今「自転車」を発明しても、商品化できないんだろうなぁ ~今日のほぼ日「今日のダーリン」を読んで~ このエントリーをはてなブックマークに追加
2012-02-27 Mon 22:15
今日のほぼ日の「今日のダーリン」が、なんともおもしろかったのでご紹介しますね。

この「今日のダーリン」というやつはアーカイブが残らないので、以下に引用します。



糸井さんが、仮に「自転車を発明」したとして、それを売りだそうと社内でプレゼンしたとき…、というようなシチュエーションで。

「ねぇ、みんな聞いてくれ。
 これを、ぼくは自転車と名付けてさ、
 大々的に売り出そうと思うんだよ、すごいだろ」

 そうすると、すぐに言われるんだ。

「乗れないですよ、それ。
 どれだけ便利かはわかりましたけど、
 乗れるまでに買ってくれた人は転んだりします。
 ケガした場合には、かなり問題になりますよね。
 頭打ったら死に至るかもしれません」

「いやいや。ちょっと練習したら乗れると思うんだよ」

「ちょっとやそっとじゃ乗れませんよ。
 それに、誰が教えるんですか、乗り方、運転の仕方」

「そうかなぁ。マニュアルをしっかりつくってさ‥‥」

「マニュアルを読みこまなきゃならないようなもの、
 絶対に受け容れられませんって!
 顧客に試練を強いるような不親切な商品は、ダメです」

‥‥というようなことに、なるような気もします。

via : ほぼ日刊イトイ新聞2/27版 今日のダーリン


たしかに、たとえ自転車を今発明したとしても、こんな感じで商品化を却下される可能性はかなり高いですよね。

たぶん、「たんに便利な乗り物」という切り口ではダメで、「ちょっと危険だけど、他では味わえない爽快感を感じられるスポーツ」とかならOKかしら? それにしても、やっぱり乗れるまでに何度も転んで…、というものは簡単には受け入れられないし、間違いなくあちこちから「怪我した、危険だ」なんていうクレームが来ることでしょう。



こういうことって、人類の長い歴史の中でだんだんと「いい方向に向かおうとして」決まってきたことだと思うので一理あるだろうし、「あまり良くないから変えましょう」と言っても、複合的に要因が絡み合ってそう簡単になおせるものではないのでしょう。



だからあくまで複合的な要因の一つの側面、というくらいの意味合いで言うのだけれど、消費者がクレームをつけたり、裁判で(過剰に)守られたりしている現状が、新しい何かを生む出す力をスポイルしてしまっているというのも一つの事実ではあるのでしょう。

もちろん勝手に危険なものをポンポン作られてはたまったものではないし、「こういう現状でもおもしろい発明って生まれているじゃないか」という意見もあるだろう。だけど、今の消費者のクレームの持つパワーって、ちょっと過剰なんじゃないかって思うんですよね。



蒟蒻ゼリーがのどに詰まって人が死ぬ。身近の人がそうして亡くなったらパニックになって、自分の責任じゃないと思いたくて訴える。それは人だから、そんなこともするかもしれない。でもそれを「当り前だ」とする世の中はどうなんだろう。

もちろんそんな人が100人も200人も出るようなら問題だろうが、Wikipediaによれば食物による窒息死亡事故の年間平均4000件以上のうち、蒟蒻ゼリーが占める割合は1.7件程度らしい。



今日のダーリンに話を戻すと、糸井さんは最後、「昔の人は、もっと「ユーザー」を信じてたんじゃない?」と言う。確かに今の企業やメーカーは、ユーザーを信じてはいないだろう。でも、それはユーザーがすぐにクレームをつけ、裁判で勝っているからじゃないだろうか。

裁判の判決は、裁判官の一存ではない。それは、社会全体の総意が反映されているんだ。



だから今の社会が現状のクレームの付き具合をよしとするならばそれは尊重する必要があるのだが、「あんまりバランス良くないんじゃないか」と思えばそう声を上げる権利はいつでもある。ぼくは粗さがしにも似たクレームは御免こうむりたいんだよなぁ。それを今後どんなふうに声をあげていくのかは分からないけど、まぁときどきこんなふうに小さなこぶしを振り上げたりするのかもしれない。
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来年のほぼ日手帳が届いたよ♪ このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-10-27 Thu 23:39
あ、そういや数日前に2012年のほぼ日手帳が届いてたんだった!

今日はその紹介をしましょう。



今年は、ぼくほぼ日手帳カズンっていうのを使ってたんです。

通常のほぼ日手帳は文庫本サイズなんですが、このカズンはA5サイズで、一回り、イヤ、二回りくらい大きいんです。だからいっぱい書けてうれしい手帳。

まぁ持ち運ぶのにかさばるのは確かだけど、別に苦ではないので、カズンは使いやすく好きなサイズでした。



が、来年は通常のサイズに戻しました。それはなぜかって言うと、前に買ったお気に入りのバッグに、カズンのサイズだと入らないんですよ。イヤ、無理やり入れれば入るんだけど、カズンだけでキツキツになっちゃうの。

それが大変残念だったので、来年は通常サイズで行ってみようと。



で、実際の手帳はこちら!

ジャカじゃん!

2011-10-27 23.03.38

右が今年のカズン。左が来年の手帳。カバーは新発売のジッパーズ。この写真だとわかりにくいけど、ジッパーが付いてるんですよ。手帳の下側に取っ手があるのわかるでしょ?

で、中にいろいろ入れれるのが便利なので、今回はジッパーズにしてみました。早く使ってみたいなぁ。



そして、さっそくお気に入りバッグに入るかどうか調べてみると…、

2011-10-27 23.28.43

うん、すっぽり入る♪

これで来年はこのバッグの使用頻度も増えそうです☆

ぼくのオサレ度もアップ? そんなことはどうでもいい? ちぇ。
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『好き』であることを隠さない勇気 ~ほぼ日『スケッチトラベル』糸井さんと堤大介さんの対談を読んで このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-10-19 Wed 20:09
数日前から連載が始まっていて、今日最終回を迎えた連載。

ほぼ日の「スケッチトラベル」という、糸井さんと堤大介さんの対談が非常に面白かったです。この堤さんの生き方というのは、現代人の理想なのでは? と思うほど。



ざっと堤さんのプロフィールを紹介しておくと、1974年生まれのイラストレーターで、かのピクサーで「トイ・ストーリー3」のアート・ディレクターなどを務めるすごい経歴の持ち主なんですが、そこに至る経緯はなかなか風変わりです。

というのも、彼は18歳でアメリカに渡ろうと決心するまでは、野球しかやってない「野球バカ」だったらしいのです。絵も描いていなければ、英語の勉強すらしていない。

しかも、アメリカに行ったのも、絵の勉強をするため、ではなかったそうで、「とにかく単位を取らなきゃ」と思って取った授業が「絵のクラス」。

そこで絵を描いて、まわりに褒められているうちに絵に夢中になり、それから美大に編入。そこでは誰よりも絵が下手だったそうですが、どんどん上達していったそうです。

彼曰く「だって、絵が好きなんですから」



この、「自分がそれを好きだから」ということを人生の中で最も重要な軸として据えることができることは、何にもまして強力なことなんですね。

堤   20代の若い子たちには
    「遊びだからって
    真剣にやらないのはダメだ」って言ってます。

    「遊びだからこそ、真剣にやれ。
    好きなことを一生懸命やれなかったら、
    社会に出てから
    何も一生懸命になんかできない」って。

    なかなか、わかってもらいにくいんですが‥‥。

糸井  「人は、何かを、遊びの過程で覚えていく」って
    吉本隆明さんが言うんですけど、
    そのリアリティは、経験したらわかるんですよね。

堤   ええ、ええ。

糸井  つまり「遊べ!」ってことなんですよ。

    ようするに、
    「おもしろいから、寝られないんだ。
    大好きだから、止められないんだ」
    なんです。

堤   はい、そのとおりだと思います。

糸井  そして「もうダメだ」と思うときが
    いちばん「伸びる」ときでもあって。

堤   はい、それも、本当にそうです。

    「もうだめだ」というときに止めちゃうのか、
    「オレは、こんなに絵が好きなんだから、
    この苦しみを乗り越えるくらいは
    たいしたことない」って思えるか、どうか。

糸井  「こんなに好きなんだから、
    何かあるはずだ」って思えるわけですよね。

    これ‥‥伝わってほしいなぁ。


「好きこそモノの上手なれ」とか、「継続は力なり」みたいなことわざや教訓がありますが、そうした言葉の根っこにあるのはこうした事実なんじゃないかと思うんです。

好きなことでも仕事でも、やっているうちに自分の限界に近づいていくのは当たり前のことです。そこで限界にぶつかったときに、「もうダメだ」「ここで限界を迎えるなんてオレにはこの仕事は向いてない」と諦めるのかもうひと踏ん張りできるのか。

きっと、そんなときにがんばった「ひと踏ん張り」の経験を積んでいけばいくほど、その仕事をより好きになっていくんじゃないでしょうか。



さて、そんな堤さんが4年半続けてきたのがこの連載の表題ともなっている「スケッチトラベル」。

これは何かというと、世界中の著名な絵本作家やイラストレーターなど総勢71名の絵を集めたスケッチブック。ちなみにラストを飾っているのは宮崎駿監督です。

・・・と聞くとただの豪華なイラスト集のようですが、このスケッチブックが変わっているのは、すべて直筆で描かれていて、しかも作家から作家へずっと手渡しでつながっていっていること。そこに絵を描くことは、後になればなるほど、単に1枚のイラストを描く、ということとは異質の体験であったはずです。下世話な話、誤って水でもかけてしまったらすべてが台無しです。

そしてこれは、仕事でもなんでもなく、堤さんにとっては壮大な「あそび」でした。この企画の着地点としては「ラオスに図書館を建てる資金を作る」ことになりましたが、それすらも「この企画をすすめるにあたって、お金との関係を断ち切るために手っ取り早かったのがチャリティーにしてしまうことだった」と、後付であったことを隠しません。

つまり彼にとっていつも最重要なのは、「自分が好きなことをやること」なんですね。

堤   ピクサーでやっている仕事のほかに、
    お金にならない‥‥といいますか、
    ただ単に「好きだから」という理由だけで
    やるようなことがないと‥‥
    つまり、本業以外のところで
    新鮮なインスピレーションを得ていないと
    ピクサーでも
    ちゃんとした仕事はできないんです。

糸井  うん、それは、わかる。

堤   つまり「スケッチトラベル」をやることで、
    ピクサーの仕事のクオリティも
    よくなってくるんです。


自分が「好き」と思う気持ちを隠さない、ごまかさない、真正面から受け止める。

これは実はとても怖いことです。なぜなら、「好き」になる対象は常に自分の外にあるもので、自分の外にあるものというのは常に自分を裏切る可能性があります。「好き」という気持ちをもし受け止めてもらえず、失恋してしまったら…。その恐怖に耐え切れず「好き」という気持ちを表現することをためらった経験が、ない人なんているのでしょうか。

でも、そこでもう一つ勇気を振り絞ることが重要。そういうこと堤さんは教えてくれているように思います。



最後に。

堤さんがこの「スケッチトラベル」を紹介するために作ったという予告編のような映像。これが本当に素晴らしくて、感動してしまいます。光の表現や色使い、登場人物(?)の表情のユーモアといった技術的な部分がすばらしいのはもちろん、ここに表現された「思い」が心をうつんだと思います。

そして最後に出てくる大男は、宮崎駿監督なんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

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新月の時に種を巻き、満月の時に収穫する このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-10-12 Wed 17:32
先日からほぼ日で、糸井さんとシルク・ドゥ・ソレイユの創始者のジル・サンクロアさんの対談が連載されてます。

そこでジルさんが言っていたことがへぇ、と思ったのでご紹介。



ジル  新月の日と満月の日は、
    私のカレンダーにいつも書いてあります。
    なぜかというと、
    それを知っていることはとても重要なんです。
    いいですか?
    なにかプロジェクトをはじめるときは、
    新月にやるべきです。
    満月にはじめてはいけない。
    私の父親は新月のときに種を撒きました。
    満月のときには、決して蒔かなかった。
    なにかをはじめるなら、新月です。
    けれども、たとえば
    ショーの初日は満月がいいんです。
    なぜなら、それは「収穫」だから。
    満月は収穫のときですから、
    少しずつ積み上げて、つくりあげたショーを
    スタートさせる日としてはいい。
    実際、シルク・ドゥ・ソレイユでも
    そういうふうにしてきました。
    via:「ジルは友達。」


月の満ち欠けというものを、そういう目安として捉えたことはなかったんですが、シルク・ドゥ・ソレイユの創始者にそういうことを言われると、ちょっと気にしてみようという気になります。

これからは満月の夜には、「おお、なにか収穫できるものはあるかな?」と考えてみたりして。



ほぼ日手帳には日毎のページにその日の月の満ち欠けが入っているので今日はどうかなと確認してみると、なんと満月ではないですか!

・・・ただ今日は、なにもぼくには収穫できそうなものがなかったりするんだけど、でも明日はフラワーEXPOとフラワートークナイト。ここでこの1年の間に蒔いたタネが幾つか収穫できるかもしれません。



そうやって目安をつけるだけでも、なんだか展示会や会合に参加する意気込みも少し変わってきますね。これが身についてくると、生活の中にリズムも生まれてくる気がします。

しばらく意識的に気にするようにしてみたいと思います。
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