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お客さんの方を向いた経営 このエントリーをはてなブックマークに追加
2013-03-16 Sat 00:14
仕事と責任は、切っても切れない関係だと思うんです。責任のない仕事は、仕事というより遊びと呼ぶべき行為です。

もちろんその程度の認識でもできる仕事というのも存在しますけれども、その場合に得られる対価は限られたものになるでしょう。

もしくは、よほどその仕事に関する才能に恵まれていて、責任について考えるまでもなく素晴らしい成果を残せる場合には、ただただ楽しむことが多くの対価を生むことになります。そういうのを「天職」と呼ぶのでしょう。



その域に達しない限り、仕事の対価は責任の背負い方とニアリーイコールだと思います。



ただ、一人の人がするひとつの仕事にも、細かく見ると複数の段階があって、「この部分は天職と呼べるほど得意なんだけど、それと付随するこの部分はどうやってもうまくならないし苦手」ということがあります。

もちろんそれを克服できるとすばらしいんですが、苦手なものは仕方ない、という側面もあります。苦手なものを克服する労力は、得意なものを伸ばす方向に向けたほうがいい結果を生む、という考え方があり、ぼくもそう思っています。



だからそのときは、「これ自分には向いてない」と思ったら、早く手放したほうがいいんです。

それは「この仕事はできません」ということに他なりませんから、「上司に怒られるんじゃないか」とか「無能だと思われるのはイヤだ」とか「自分だってちゃんと出来るようになりたいから」とかいろいろ思って簡単にできることではないですけど、でもこの考え方はおかしいんですよね。

だって「その仕事をしっかり完了すること」ではなく「自分の能力や評価」に心が向かってしまっているからです。

会社にとって重要なのは、「誰がやったか」ではなく「どういう成果が生まれたか」です。つまり、その会社の顧客にとっては満足する結果が得られるならば誰がやったかなんて関係ないわけです。

そもそも会社がなんでたくさんの人間を必要とするかといえば、各分野の得意な人を集めてプロジェクトを効率よく遂行するためです。ひとりで全部できるなら、会社なんてやらずにひとりでやったほうがいいわけです。



そんなわけで、自分の評価を気にして苦手な仕事を手放さないと、仕事の効率が悪くなって成果が下がり、ひいては会社の評価が下がりますから長いスパンで見れば結局自分の評価も下げることになります。



ただこれって、何が悪いって話をすれば、会社の評価のシステムが悪いんですよね。「苦手な仕事を手放す」ことを悪く評価するからいけない。

その前に「苦手な仕事を振るのが悪い」というのもあるんだけど、なにが苦手かはやってみないとわからない(往々にして本人の自己申告はあてにならない)のでそこに関しては致し方ない部分もあると思います。



だから本当にお客さんの方を向いた会社になるためには、そうした根本的なシステムを変えていかなくてはいけないので、これは並大抵のことではありません。

また、システムが変わっても、人の心は長年親しんだシステムから離れるのは簡単ではありませんから、そういった難しさもあります。



とは言え、「難しい」と言っていては本当にお客さんの方を向いた経営はできませんから、なんとか方法を見つけていくしかないだろうと思っています。
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新しいことが目の前にやってくるのはラッキー このエントリーをはてなブックマークに追加
2012-10-03 Wed 00:11
おかげさまで仕事がたくさんありまして、だいぶ追いついていない状態になってきました(笑)。

新しいことやイレギュラーなことがあったり、へんてこな相談ごとに付き合っていたりして、なかなかタイトロープな感じです。

でも今やっている慣れないことは、慣れれば役に立つことばかりなので、自力を貯めている最中だってことでしょう。



会社経営も4度の決算を経験して、だいぶ何をすればいいものかが分かって来ました。

やっぱり何をやるにも、そこそこわかってくるには3~4年はかかるものですね。

逆に言えば、そこまで行くまでは、ツラくて自分には才能がないんじゃないかと思っても、歯を食いしばってやってみないことには仕方ないんでしょう。



まぁとにかく、新しいことが目の前にやってくるのはラッキーだと思って、日々それらの仕事に向き合って行きたいと思います。
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信頼して相談ができるということ このエントリーをはてなブックマークに追加
2012-01-17 Tue 23:50
去年の11月に行ったセミナーで、すごくご近所に同じマーケティング実践会に所属している薬局の方(薬剤師さん)、Fさんと出会いました。

その後、年明けからぼくの右手が調子が悪いので、Fさんに相談させてもらっています。医者じゃないから「主治医」ではないですけど、こうして信頼できる薬剤師さんと、身体の相談ができるっていうのはすごく安心できますね。

今日も、先日整形外科に行ってどういう処置をしてもらったかをお話して、いい湿布を紹介してもらいました。

じぶんで薬局に並んでいるいろんな湿布を見ても、どれがいいかなんてぶっちゃけわからないじゃないですか。で、テキトウに入ったドラッグストアとかで白衣来た人に「どれがいいの?」って聞いて「これですね」なんて言われてそれを買っても、その白衣の人が一体どれだけの知識を持ってるのかはすぐにはわからないので、多少の不安は付いてまわりますよね。



今回の、ぼくのFさんにたいする信頼は、実はこの実践会が担保してくれてるんですね。つまり、この実践会というコミュニティは、商売に対してまっすぐな人が集まっているし、会員同士がお互いを同志と見て信頼できる雰囲気を持っているんです。



今後の商売は、そしてソーシャルメディアは、どんどんこうなっていくんだと思うんですね。



自分を信頼してもらえる場、コミュニティを作ること。そしてあたりまえだけど、自分が信頼されるに足る自分であること。

そういう、地に足がついた感じでしっかりとした商売をすることが、これから重要なんだろうなぁ、と今日はお客さんの立場で実感しました。



ちなみにインターネットやPCが苦手なFさん。ぜひフェイスブックをやって同志とつながりましょう、と強烈にプッシュをしておいたのですが、はたしてはじめてくれるかな?(笑)


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人は天気をコントロールできるのか? このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-05-21 Sat 23:08
明日はアーヤのフリマ。天気は大丈夫そうです。やった☆



僕は以前から、

「ここぞというときには気合いで雨なんて吹き飛ばしてやる!」

とか、

「今回雨が降っちゃったのは、少し心配ごとがあって『やらなくてもいっか』みたいな気持ちがあったからだな」

とか思っちゃう人でした。

人生を主観的に捉えているというか、自分を中心に世界は回っていると考えているというか。

人に言うときは冗談めかして「オレが本気出せば雨なんか降らないから」とか言うんですけど、自分ではあんまり冗談だと思ってなかったんですね。



そういう人生を20年以上にわたって歩んできたんですが、去年あたりから「そう考えるのはやめよう」と思うようになりました。なんでかというと、この考え方は非常に苦しいし、自分の人生にふたをしかねないと思ったからです。



苦しい、っていうのは、天気のような自然、非常に大きな相手に自分の主観が影響を与えることができる、と考えると、もっと人為的なもの、たとえば自分の会社やスタッフなんかを自分の思い通りにできないわけがない、というふうに考えるようになります。だって天気をコントロールできるんなら、そのくらいできそうじゃない。

ただ、当たり前ですが他人は自分の思うようには動いてくれません。もちろん局所的に自分の思うようなことをしてくれる瞬間は訪れますが、「自分の思い通りに動く人」として存在することなどできない。



そしてもう一つ、自分の人生にふたをしかねない、ということ。

これはどういうことかというと、世界を主観的にコントロールできるということ、また、そうしようとすることは、自分の持っている限界以上のものを許さない、ということになります。

自分の主観的な世界において、自分を絶対神として君臨させようとすること。これはその場では、他人がみんな自分の言うことを聞いてくれて、快感を得られるかもしれませんが、その結果は多くの場合、自分の思うような成果は得られません。

なぜなら自分の言うことを聞いてくれる他人は、決して自分自身ではないからです。

たとえば会社の社長だとして、スタッフに自分がいいと思う商品を作らせたい。「こうこうこういうものを作れ」「はい!」と言っても、スタッフは社長が頭に思い描いたものを完ぺきに把握することはできないんです。それで自分なりに考えて動くから、完ぺきに同じ成果はまず生まれない。



そうするとどうなるかというと、社長は「オレがあと3人ほしい」とか言いだすわけです。これはあまりよろしくないですね。だってこれは、「他のスタッフは全然信用できない」ということの裏返しですから。または、自分の伝達能力の限界に絶望した言葉、ということもできるかもしれません。



「オレがあと3人ほしい」というのは、ぶっちゃけ現実逃避です。だからこういうことを言っていてもしょうがない。1人で酒飲みながら、うだうだ考えているだけならいいけれど、スタッフの前で平気でこういうことを言っちゃいけないと思います。



と、少し話がそれたけれど、現実逃避をしていても仕方がないので、もっと現実的なことを考えないといけない。でもその選択肢は多くはなくて、「他人の意思やアイデアを積極的に受け入れる」ということが最初です。

そして、自分の中ではイレギュラーなアイデアなども、そのアイデアを出したスタッフを信用してやってみる。もちろんその時、結果については自分でケツを拭く決意も持っておく。



そういうふうに考えないと苦しいなぁ、といつしかぼくも考えるようになったので、「大事な日に天気が悪くても、その中で面白くなるように考えよう。天気をコントロールするよりも、自分が天気の変化に対応できるようになろう」という考え方にシフトしたんですね。



…と言いつつ、結局雨のはずの天気が明日は降らなくなってしまってるんですけれども!
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必要なのは「システム」、大事にしたいのは「美学」 ~東日本大震災支援・チャリティ講演会に参加して考えたこと このエントリーをはてなブックマークに追加
2011-05-12 Thu 22:05
1日たって、なんとなくアタマが落ち着いてきたので、昨日の小阪裕司先生の講演を聞いて考えたことを書いてみたいと思います。

自分になかに深く残っていることが2つあります。ひとつは今の自分がついおろそかにしがちだなぁ、と思ったこと。もうひとつは、今の感じで間違いないんだなぁ、と思ったこと。



・ビジネスとはシステムである

ビジネスとは血の通ったシステムである、と小坂先生はいいました。システムというのはつまり、複数の要素が有機的に絡まり合ってひとつの結果を生み出すものだということ。

ただ、機械的なシステムではなく、ひとの心の動き、行動の法則みたいなものに根ざしたものであるため、「血の通った」システムである、と言うんですね。



システムですから、全体が平均の性能を発揮する必要があるんです。どこか1ヶ所だけとても優秀でも、システムとしては意味が無いんです。逆にほとんどすべてが優秀でも、どこか1ヶ所が機能していないと全体のパフォーマンスはまったく上がらない。

すごくいい商品があって、それを訴求するすばらしいPOPがあっても、店に誰も入ってこなければ売上は上がらない。いわゆるボトルネック、というやつです。



一人のプレーヤーとして店に関わるのであれば、POPの書き方や会報誌の作り方に専心してもいい。それは店のシステムを動かす優秀な部品になるということです。ただ、経営者として店の売上に責任をもつのであれば、そのなかの一つの部品として優秀でも仕方が無いんですね。



このことをつい忘れて、もしくは見えないように目をつぶって、つい目の前に見えるやりたくて仕方がない修正とか、得意なことに手を出してしまって、ボトルネックの部分を見ようとしていない自分がいたなぁ、と思ったんです。


経営者としてシステム全体を見ること。得意なことだけしていても問題は解決しないということ。これを肝に命じました。



・商売の基本に美学を据える

ビジネスの問題における判断基準をどこに置くか。それはお金ではないのではないか、ということはこのブログでも再三書いてきました。

この問いに対して小阪先生は、明確に「美学」といいました。

伝統的に美学は美とは何かという美の本質、どのようなものが美しいのかという美の基準、美は何のためにあるのかという美の価値を問題として取り組んできた。
wikipedia 「美学」


美学というのは上記の引用のような学問で、「美」というものを取り扱っているわけですが、「美」というのは本質的に、主観的な判断基準だと思うんですね。どこかに「客観的な美の判断基準」というものが存在するわけではない。

誰もが認める美人、というのがいたとして、それはそこに「誰もが認める美」が存在するわけではなく、たまたますべての人がそれに「美」を見たというだけのこと。「オレは美しいと思わない」というひとが出てくれば、その美人は何も変わっていなくても、「誰もが認める美人」ではなくなります。主観的な判断基準、というのはそういう意味。



つまり、「美学」には「完全な唯一の正解」なんていうものは存在しないんです。美学を通してビジネスを見たときに、経営者の判断基準は「正しさ」ではなく「自分はこれを選ぶという決意」になる。

よく、一代で大会社を作った経営者の方が、「みんなに反対されたけど、でもオレはこれしかないと思ってやったんだよ」みたいなことを言うのを聞きますが、これがまさに「正しさ」ではなく「自分はこれを選ぶという決意」なんでしょう。



ということは、これは一昔前なら大会社を作れたようなメソッドなんだけど、今はボクのような町の小さなお店の経営者すら同じような考え方を持たないと生き残れないよ、ということであるかもしれず、これはまた大変な時代に生まれてきてしまったのかもしれません。



いや、でも違うかな。「自分の選択や決意に責任を持つ」ということは、いつの時代でも大事だったし、それはみんな分かっていたはずで、「でも自分には出来ない」と諦めたか諦めなかったか、それだけの違いな気もします。



いずれにしても、「正しさ」が判断基準の上位ではない、ということは「美学」の名のもとに明らかなので、これはぼくが今進んでいる道が間違っていないということだろうと、少し自信を持った次第です。



「自分の選択や行動に責任をもつこと」、それをしている人間を俯瞰してみてみると、彼は地球号や日本丸という有機的なシステムの優秀なパーツとして機能している人ではないかと思うんです。そういう人間になることは、やっぱり大きな理想だなぁ、と思います。
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